刑事事件にみる下層社会の影。
昨今、明確に教育水準が低い層や貧困層をターゲットにした商売が目立つ今日このごろ。
光母子殺害、本村洋さんら死刑求める意見陳述
この人がいまいち世論の支持を集められないのは、同世代の多くが結婚して幸せな家庭を築くということに成功していないから、という部分から目を背けてはいけないのではないか。
僕は野蛮だと思いますね。人殺しを国の力で殺そうとするのは。報復刑を論じる余地はあるにしても。
まあ感情移入しないでもないけどしょせん他人事だもの。こちとら一度たりとも妻も子もいたことがない。
衣食足りて礼節を知る。
Comments
そうか。
僕は「俺がこんなことされたら必ず復讐するだろうな」と思うから、共感を持って見てる。
これが「持てる者の特権」であることさえも自覚の無いまま。
しかし、そうだとすると、家庭を持たない者が増えると治安は悪くなるということなのかもね。
Posted by: blogpetのnomad | Friday, September 21, 2007 at 21:43
漠然と…家庭を築く能力なんてのは個人の資質によるところが大きいと思いますけども、そろそろ今という時代背景も無視できないかなと。
「持てる者」は基本的に努力やそれによって身につけられた能力、あと天賦の才も当然あると思いますよ。ただ、その結果として恵まれた境遇にいることは忘れないでほしいのです。
一方で、小市民的なささやかな幸せに興味が持てなかったりもします。結婚して妻も子もいて、という知人たちを見てると、その多くが枯れた人生を消化していくだけのように見えるから。
人生まだまだ消化試合に入るほど何かをやり遂げてませんからね。
治安はねえ…まあここまで極端な凶悪事件はともかく、間接的には、世論として2ちゃんねる的な、ヒステリックで歪(いびつ)な正義感がネット言論のスタンダードになりつつあることへの危惧を感じています。
Posted by: udon | Sunday, September 23, 2007 at 04:13
↑「共感」を非難する気はありませんよ。そのへんはそれこそ価値観ってやつでしょうから。立ち位置が違うってだけの話で。
Posted by: udon | Sunday, September 23, 2007 at 04:18
いや…
自分が「持てる者」の自覚はないのだが、「持たざる者」に対して後ろめたい思いをずっと持っているってこと。
自分の幸運に対して後ろめたいんだ。
その幸運は持たざる者に対して還元すべきなんだろうが、自分の幸せを追求することに汲々としてる自分に鬱
Posted by: blogpetのnomad | Sunday, September 23, 2007 at 23:03
なんだかよくわからなくなる時があります。
「持たざる者」って、持つ責任を負うつもりがないってだけのこと多くないですか?
持つ喜びもないけど、失うリスクもないしなー。
「持ちたいけど持てない」なのか疑問。
ビーチフラッグで不戦勝はなかろうに。
Posted by: ちなぴ | Thursday, September 27, 2007 at 14:10
>> blogpetのnomadさん
じゃあ僕も幸せを追求して汲々するよー。後ろめたさを感じるくらいまでは!
>> ちなぴかあさん
一般論としてはそう思います。
ただ、リスクを冒したところで得られるリターンが、つまり下流から中流にステージアップしたところで実現するであろう小市民的な幸せはたかが知れてる。というふうに人生そのものへの夢を持てなくなったことが「時代」という不幸だったのではないかと。
ある年代で通過しておくべき成功体験の刷り込みが不十分だった。
Posted by: udon | Thursday, September 27, 2007 at 23:34